ベトナムの生春巻きを食す
ベトナム旅行2
 
2010.01.18
久保 政次郎
12月30日北ベトナムのハノイ空港から南ベトナムのホーチミン空港へ移動です。
(昔はサイゴンと言っていましたが1975年からホーチミンさんを称えて名前を変えたのです。)

この日が移動日で一日つぶれてしまうと言う計画だったのですが、13時にホーチミンに到着したのでクチのベトコン地下基地 (トンネルで掘られた基地です)を見学することにした。

今回は戦争の怖さを目の前にまざまざと見せ付けられました。 ベトナム戦争で民間人だけで440万人、北ベトナム兵228万人、南ベトナム兵が60万人が亡くなったとの事、 第二次世界大戦で日本人が亡くなったのが230万にですから、いかにベトナム戦争が悲惨なものだったか解ると思います。

この地下トンネルは 役250kmにも及ぶ長さを掘ってあってただのトンネルではありません。
地下の要塞で20年もかかって掘り続けたのです、トンネルの中は三階建てで、病院から軍需工場、住宅がそろっているのです。
トンネルの通路は非常に狭くてこごんでやっと歩くことが出来るような大きさです。 体の大きなアメリカ人では入ることも出来ず、通行することが不可能です。 私も入ってみたのですが膝を痛めているので30m歩くのでも大変でした。

爆弾はアメリカの不発弾などを(写真の爆弾はすべて不発弾だったそうです)リユースしたのです。 落とし穴や罠の仕掛けは何十種類もあってアメリカ兵が奥地へ進めば至る所に仕掛けてあるので歩兵が進むのは困難のようです。

1975年にアメリカがベトナムから撤退したのですがベトナム人は「アメリカに勝った。」と誇らしげに言っていたのが印象的でした。
でも、ガイドさんの話で「アメリカが枯葉剤を大量に散布したので35年経ったいまでも奥地の人たちは後遺症に苦しんでいます。」 と顔を曇らせて話していたのです。
イラクに大量破壊兵器があるからといってイラク戦争をして、実は大量破壊兵器は無かった。 それではイラク進行は何だったのだろうか?いろいろと考えさせられますね〜。

31日 
気温は30度くらいです、この時期は乾季なので意外とからっとしていて過ごしやすい。

朝6:30から40分ほど町の中をジョキングに出たのですが歩道はでこぼこでバイクがすっ飛んでくるのでゆっくりしか走ることが出来ない (早く走れない私にはちょうど良い)

この日はメコン川のボートクルーズです。
メコン川は一番期待してたのですが一番がっかりしました。 川は濁った水で上流でダムの工事でもやっているのかな?と思うほどです。 魚などは住んでいそうもありません。(でも鯉の様な魚がたくさんいるそうです)
ボートクルージングする所はメコン川の中州(大きな島です)の水路です。 今度は泥水の川です。そこに訪れる観光客がみんなクルージングをするのです。 4人乗りのボートは所狭しとぶつかり合いながら行きかうのです。
船頭さんは観光客を案内したら次の観光客を早く乗せないと金にならないのでゆっくりクルージングなんかしないのです。観光案内などはせずにせわしなく船を移動するだけです。
がっかりです。

23:55ホーチミン空港を離陸する、いつもの大晦日は自宅でいっぱい飲みながら紅白歌合戦を見て除夜の鐘を聞いているのでしたが。 短い4日間でも、印象深く意義ある旅行の4日間でした。


べトコンと私


トンネルへ入るべトコン


地下要塞の入り口


地雷


不発弾


ホーチミン市の大晦日


メコン川のボートクルーズ


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